アニマ?ペルソナ

ユング心理学について少し書こうかなと。

人というのは理想な自分と現実的な自分(今置かれている不完全な自分)がおり、その理想形態(もしくはこうであろうとする先行型な擬態)をペルソナ、また現実的な自分が持つ嫌悪感をアニマ(女性だとアニムス)と言ったりするらしい。個人的な解釈が入っているので正しいかは不明だが、60点の回答は出していると信じたい。

要は、自分を保つためにはこの二面性は必然的に出てきてしまう。自身の内面に様々な形態を具現化したものであり、ある種仮面(これをペルソナ)を身につけ、大衆に合うようにと取り繕う。これは誰もが無意識的にやってしまうものであり、自己防衛としても当然だと思う。

ただ、その乖離が激しいと昨今のSNSで話題が上がった人に対して誹謗中傷という名の魔女裁判を開始し、その行いが正しいという集合体エコチェンバーが形成され、何が真実で何が間違っているかはどうでも良くなる。正しさではなく、大衆に見せる正義が先行するのである。

一見、それを発信している者はペルソナとアニマアニムス的な不完全な自分とで乖離がなさそうだが、内面でギャップがなくても外面、つまりはリアリティで対峙する姿とのギャップはある。このリアリティ(現実な者)とバーチャル(作られた者)が現代の二面性を確立させて人間という動物が在るといっても過言ではない。本当の自分は何だろう?という我に帰った時の虚しさほど悲しいものはないと想像しやすいが、その回帰ができず加速して偽りの正義が勝つというドラマが日常に起こっている。

これに関して思うことがあるとすれば、非常に他責な生き方でファストフード的な安易なエクスタシィを得る獣が大量発生している現象としか思えない。これに関する素直な感想は軽蔑としか示せないが、これを表現の自由だと訴えるとなると遠回し的にいじめを肯定することになることが分からないことへの切なさは歯痒い。やはり合理的には生きれず、短期的な自己欲求を満たすことが先行する感情的な動物であると再認識する。どんなに優れたテクノロジーを人類が発明しても、それを扱うマジョリティーの心理は進化していないのだ。その反比例性に関して敢えて賛同するなら、脱成長という話も分からなくもない。

と根本的に人間は変わらないことを再認識した上でどうすれば良いのか?
を投げかけても、まあ難しい。

とりあえず、山月記を読んでから始めるのが良いと思うが、難しいのか。。。
山月記をあげた理由は、多くの人が高等学校の国語で聞いたことがあるからだ。あらすじとして自己に対するポテンシャルの過剰評価と他者比較した際の劣等感で生きれなくなり虎に変貌してしまった者の話である。ここでも出てくる壮大な自尊心と羞恥心が彼を変貌させてしまった背景であり、これは現代にも通づる部分が多い。

という感じで、ユング心理学から現代、そして新古典文学へといろいろ行き来したが、改めて今まで学んできたり触れてきたりしたものに対して再度触ってみることは重要だと思う。あながち間違ったことはなく、当時感じ得られなかった享受を社会経験を得た今なら得られる人も多いと信じたい。

※上から目線な書き方だが、将来自己に示す戒めとした誇張であることはご承知願いたい。

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