私はトロッコを操る者。トロッコを操縦していると進む先に5人の人がいた。このままでは轢いてしまう。急いで線路を変えようと進行方向を変えようとすると、その先にも人が1人いた。しかもその人は自分の大切な人だった。切り替え方はこの2択しかない。あなたが私だったらどうする?
と、自分なりにアレンジしたが、これは多くの人が知っているであろう思考問題です。この限定的なシチュエーションはあまりないかもしれませんが、似たような境遇はあると思います。今日はこれについて自分の意見を書いていこうと思います。
このまま操作せず、トロッコを進ませる
つまり、5人を轢いてしまう結末になる。ここでのポイントは「トロッコの性能の是非」と「大切な人を守る」の2点だと私は考えます。まず、トロッコの性能で方向転換ができなかったと言えば自分の罪は軽くなる可能性がある。そして大切な人を殺さずに済む。しかし、これのデメリットとして考えるのは、第3者からの視点だ。新聞やニュース等のメディアだと私は過失として5人殺したと記され、世間的にひどい仕打ちを受ける可能性がある。まして、守った大切な人もその被害を受けるため自分のメンタルが壊れる可能性がある。
一方、方向転換した場合は第3者目線で被害を最小に抑えたとメディアに記され、世間的にひどい仕打ちを受けることが先程にもないように見えるが、自分が大切な人を目の前で殺してしまった事実は変わらず、こちらも自分のメンタルが壊れてしまう可能性がある。
つまり、両方最悪な結果に…
自分目線、第3者目線での捉え方だが、結局自分に不幸がやってくることは変わらない。では、どれが正解なのか。否、正解はないかもしれない。私は前者を選んだが、それは自分の考えとして「大切な人を優先にする」とした決意である。だから私はおそらく病むが前者と後者でもその差はある。それが、自分の譲れない考えであり、ある意味正義でもある。
こういう選択は人生起こりうるかも
今回はあくまで極端な例だったかもしれないが、自分がこれから歳を重ねるたびに、こんな「2択を責められる場面」が来るかもしれない。その時の場面にもよるが、自分が譲れないものを持っておくと、たとえ周りが異なっても自分にとっては腑に落ちる結果になる。
解なき解を探すことも、人生においては大切かもしれない