人生無駄なものだらけ(45/730)

「人生に無駄なものはない」

というふうに言う人は多い。それを言う気持ちはわかるが、実際当時思っている気持ちとしては「これって無駄やろ」と感じるだろう。「無駄ではない」と言えるのは将来自分がそれに気づいて言えることであり、当初の思いは「無駄である」と思ってしまう。その差はなんだろうか。

目次

何を目的としてそれを行っているのか

宿題とかやると「これ本当に使うのかよ」と思うときが私の場合よくあった。これが今宿題に対して「意味ないだろ」と思っていることだ。そして数年後、実際に大学で応用として学んだいる時に無駄だと思っていた宿題に関して「これここでつながっていたんだ」と気付かされる。これで初めてこの宿題が「無駄ではない」と認識する瞬間である。

その差がその宿題を学ぶことで拓かれる学問や技術を知っているか否かである。つまり将来性を見ているか否かがポイントである。それがより詳細であればあるほどそれに対して無駄では感じなくなる。結局は人の価値観の相違が答えになってしまうが、基本的には「無駄ではない」と思うことが吉な気もする。

何が何でも無駄ではないだとは思えない

それが自分の本心だ。ましてや自分が与えられた課題に対して何も知らなかった場合余計に思う。だからこそ「本当に意味があるのか」と疑って、自身でその課題の妥当性や将来性を調べてみる。それで自分なりに納得できれば無駄ではないし、わからなければいったん無駄なものだと認識して、無駄である理由を持って課題に取り組む。個人的にここが一番重要なポイントである。

無駄だと思っても思わなくても、ここで考えることがとても重要だ。無駄か否かの判断が外れても良い。それに対して考えた自身の考えがあれば、結果無駄ではない。ここまで考えて初めて「無駄ではない」と断言できる。何の根拠もなく何でも無駄ではないと思う人は私は嘘つきだと思い、建前として「無駄なものはある」とこれからも言っていきたい。

今日の一言

無駄と感じて初めて、それが無駄ではないと認識し始める。

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