急がば回れ
この言葉は「急いで危険な道を行くよりも、時間はかかるが安全な道を行ったほうが得をする」という意味です。課題の提出や試験が次の日に来た時一夜漬けでなんとかする。こういうことを昔はよくやっていたのですが、最近それは得策ではないと思い始めました。
それはそうだろ
いや、「1日前だから大変。つまり事前にやったほうが良い」というの当たり前な考えでもありますが、別の角度から見るともっと重要なことがあります。それは「考えの放棄」です。
考えの放棄
ところで、学校へは何をするために行っていますか?
それは勉強するためだろ
正解です。しかし実際、特に大学だと「大学の単位の取得」のために勉強している人が多いです。確かに大学の単位を取得できなければ卒業することができません。しかし、これだと大学に行く目的が「勉強」から「単位取得」という手段へと変わってしまいます。こうなるがゆえに、試験前徹夜で勉強して試験に挑む人が自分の大学時代には多かったです。試験対策と行っても授業の資料や過去問の暗記をして試験に挑む。これは本当に勉強しているのでしょうか。
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これが「考えの放棄」だと私は考えます。どうしてこの答え、または考えに至ったかテスト後も説明できなければその単元を理解したことにはなりません。こういう考えで歩んだが故に入学当初の目的「勉強するため」がなくなってしまうのです。
それが自分の学部時代の後悔でもある
この「単位取得」のために行くのは間違っていると気づいたのは、学部3年の時でした。もし1年の時に気づいていたら今の進路も変わっていたかもしれない。勉強、学科の科目以外でもインターンシップやボランティア等で参加することも一種の勉強なのに、「単位取得」に含まれないそれらを除外してしまった。だから、私は大学院でリスタートしたいと思い進学したのも院進学の1つの理由です。
回り道が結局近道なのです
近道は目の前ではなくこれからの人生という先を見据えた道と捉えています。その途中は確かに「本当に意味があるのか」と疑問を抱くこともあります。それでも「何があるのか」考えながら進み、自分が豊かだと思えるところに来て周りが持っていないものを手に入れたのならば近道成功です。
考え方次第で物事全て変わってしまう今、一歩振り返ることも大切だと。
過去に戻れないから、後悔が残る。