隣の芝はいつも青い(52/730)

隣の芝は青いということわざがある。

それは「自分のものよりも他者のほうがよく見える」という意味だ。

しかしそれは当たり前であり、何ならそのことわざに「いつも」と加えたいと思うほどだ。

目次

他者と見比べる日々

「あいつ優秀だな」

「僕に持っていないものを持っている」

と他者に対して羨ましさを抱く心情を抱く。

そしてたいてい今の自分と比較してこう思う。

「どうして自分は持っていないんだろうか」と。

あくまでも自分の意見として、これはしょうがないことなので気にしないことが吉だと考える。

しかし、わかっていても自然と他者と比べてしまう。

すると、それは人間としての本能かもしれない。

人は昔から生き残るために他者を見て作戦を立て、戦や戦争をしてきた。

よって、他者を見てしまうことはある意味しょうがないことだろう。

しかし、これには「羨ましさ」は無いように見える。

ここで違いが出てきた。

そう、「悲観する」か「分析するか」の違いだ。

悲観と分析

これはたいてい相手を見て自分に対する自身をなくし、諦めてしまうことが該当する。

つまり、現状を受け入れやるせない思いを持ち続けるが、特に動き出さない。

一方、「分析」は他者に勝るためにどうすれば良いか考えるため他者を見る。

つまり、現状を受け入れつつ他者に勝るための行動をする。

ネガティブかポジティブかの違いのようにも見え、より簡単に見ると動くか動かないかだ。

ただ指くわえて「いいな〜」と言って終わるのか、「何が良いんだ」と観察して分析するのか。

それって人生においてかなり大きな分かれ道だと私は思います。

隣の芝を研究しよう

これに尽きる。

今自分がやっている就活がこれに該当するが、高学歴がこの会社行くからいいな〜ではなく、自分が行くためにはどうすれば良いのかを考えるのだ。

たとえ失敗してもそれは表面上の失敗で、経験上では成功である。

まだ自身の就活が終わっていないので机上の空論だが、就活が終わった時そう思いたい。

今日の一言

自分がどう思うのかが重要だと思う。他者を見て萎縮するならその程度のことよ。

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